2024年4月に導入された時間外労働の上限規制などに伴う人手不足(いわゆる「2024年問題」)に頭を悩ませる建設業界では、生産性向上は喫緊の課題だ。そんな中、現場監督に大きな負荷をかける膨大な「工事写真」の整理業務に革新をもたらすのが、verbal and dialogueのアプリ「Cheez(チーズ)」である。同社代表の森川善基氏は、大企業で着実にキャリアを重ねてきたが、その安定した立場を離れ、なぜ起業したのか。そこには、現場環境の改善への情熱と、建設業界の未来への熱い想いがあった。現場を知り尽くしたアプリ開発の並々ならぬこだわりと、知られざる苦労の道のりを紐解く。
使いやすいUI/UXを目指したアプリ「Cheez(チーズ)」の画面verbal and dialogueが2025年5月に正式ローンチした「Cheez」は、建設業界における「写真台帳」の作成を効率化するサービスですね。
森川:はい。私は長年にわたり建設業界に身を置き、さまざまなプロジェクトの立ち上げや工程管理などに携わってきました。プラントの現場監督も経験していますが、 現場監督には、“写真台帳の作成”という重要な業務があります。工事の進捗や品質、安全対策などの状況を写真とテキストでまとめ、関係者に報告するためのものです。しかし、非常に手間と時間がかかるため、「この作業コストをなんとか減らせないか」と、ずっと考え続けていたんです。
写真台帳とは、どのようなフローで制作されるものなのですか。
森川:まず工事現場で進捗状況がわかる写真を撮影し、事務所に戻ってからその写真を確認します。そこから工程ごとにフォルダへ仕分け、一枚ずつ台帳ソフトに貼り付けながら、写真の内容や進捗状況などを入力し、ようやく写真台帳として提出できる状態になります。大体1つの工事あたり、パイプ式ファイルで20~30冊分のボリュームになります。
工事の規模にもよりますが、1工事あたり10,000枚から26,000枚ほどの写真を撮影します。作業時間は少なくとも毎日1、2時間ほど要し、多い月では90時間近くをこの写真整理作業に費やしているのが現状です。
月90時間!想像するだけでめまいがしそうです。
森川:本当にそうですよね。建築業界にはまだまだアナログな手法が根強く残っています。一方で人手不足は慢性化しているので、手間や時間を要する作業を積極的に改善していかないと、業界全体の生産性向上はなかなか達成できません。
森川さんは大手メーカーなどでのキャリアをお持ちですが、起業にあたって不安はありませんでしたか。
森川:家族もいますので、正直なところ、ゼロから起業することにはずっと葛藤がありました。実際、「Cheez」の構想自体は会社を立ち上げる4年ほど前から練っていましたが、なかなか踏み切れずにいたんです。
そんな時、経済産業省の「出向起業制度」を知りました。企業に籍を置いたまま起業し、初期リスクを抑えつつ新規事業創出に挑戦できるという仕組みです。思い切って一歩を踏み出せたのはこの制度のおかげですね。現在はサービスの基盤が整ったので、独立して「Cheez」のシステム発展に専念しています。
大量の写真もAIにより簡単に整理することが出来るそれでは改めて、写真台帳作成アプリ「Cheez」の詳細を教えてください。
森川:写真台帳を作るには、写真を撮影した後、写真の整理や仕分け、情報の入力といった作業が必要です。しかし弊社の「Cheez」を使えば、作業者が現場で“写真を撮ってアップロードするだけ”で制作作業が完了し、その他の事務作業は一切発生しません。これにより、従来の作業の9割以上を削減でき、月数十時間に及んでいた写真・情報整理の時間がまるごと不要になります。
具体的にどのような仕組みになっているのですか?
森川:通常、工事写真の撮影時には、工事名や内容、撮影日、施工場所などが書かれた「工事黒板」を一緒に写します。「Cheez」にはAIを搭載しており、工事黒板の文字をOCRで読み取って、工事情報ごとにタグ付けをします。それをもとに工種・機器ごとの分類や並び替え、情報入力が自動処理され、最終的な写真台帳の完成まで一括して対応しているという具合です。
ひたすら面倒で時間がかかるデータ整理の部分を丸投げできるんですね。心強い!
森川:「Cheez」には、他にも現場で役立つ機能を複数組み込んでいます。例えば、原本で管理しがちな納品伝票を撮影してQRコード化し、資材の調達・輸送状態の把握(トレーサビリティ管理)をスムーズにする「納品伝票データ管理機能」や、情報の音声入力を可能にして手入力の手間を省く「音声入力機能」などです。
中でも喜ばれているのが、「撮り忘れ防止機能」ですね。写真台帳の写真は撮影箇所が多く、後日の撮り直しも難しいため、撮影指示や引き継ぎに非常に時間がかかります。 しかし「Cheez」なら、撮影すべき項目をTo Doリスト化して画面に表示し、撮るべき対象や撮影の向きなどを細かく指示してくれるので、撮り忘れを防止できるのはもちろん、これまで属人化しがちだった撮影業務を新人の方などにも任せられるようになり、現場のリソース配分が柔軟になります。
サービスには「コンパクト」「ライト」「スタンダード」という3つのプランがありますが、どのように違うのですか?
森川:処理する写真の枚数に応じてお選びいただけます。工事規模や内容によって台帳作成に必要なデータ量は変わりますので、コンパクトは500枚、ライトは3,000枚、スタンダードは10,000枚までと、対応枚数によってプランが分かれています。 先ほど説明した「納品伝票データ管理機能」「音声入力機能」「撮り忘れ防止機能」などの主要機能は、どのプランでも共通してお使いいただけます。
競合他社が提供している写真台帳制作をサポートするシステムと、「Cheez」との違いはどういった部分なのでしょうか。
森川:大きく3つあると思っています。 1つ目は、弊社の「Cheez」が大型の生産設備(プラント)の設計・建設に関わる「プラント業界」を起点に開発したシステムであるという点です。私が長年、プラントの現場監督や検査業務に従事してきたノウハウが凝縮されており、複雑なプラント業界に特化したシステムは、これまでほとんど存在しなかったと思います。
2つ目は、機能の充実度です。先述した「Cheez」の「撮り忘れ防止機能」「音声入力機能」「納品伝票データ管理機能」、そして写真を撮るだけで台帳制作まで完了するという一連の独自性について、それぞれ特許を取得しています。
3つ目は、「AIによる自動化」に加えて、「人の手による補完」を行っている点です。写真台帳は1工事でもかなりのボリュームですが、公式書類として提出するものなので、間違いは許されません。「Cheez」ではAIで問題なく処理できる約8割を効率的に処理しつつ、残りの2割はプロの手で処置をしています。弊社には私のほかにも、現場監督経験のあるプロのスタッフを揃えており、納品前にも現場のプロが全体を最終確認・調整しています。
AIが得意な「膨大なデータ処理の効率化」と、それだけでは補えない「プロの確認による信頼」を両立させているのですね。
森川:はい。究極のUI(ユーザーインターフェース)・UX(ユーザー体験)を追求して、「Cheez」には持てるアイデアをすべて注ぎ込みました。特許を取得した数々の機能も、私やスタッフが現役時代に悩んでいた「もっとこうだったらいいのに」を形にしたものです。写真台帳作成において“いかに作業の手間を減らせるか”ということが、「Cheez」を開発・運用する上での最大の軸になっています。
プラント業界を対象にした写真台帳作成システムは、これまであまりなかったとのこと。他の建設や土木業界に向けたものとどのような違いがあるのでしょうか。
森川:建設・土木業界の写真台帳は、国土交通省が定めた統一基準があるため、必要なデータ形式を整えることはそこまで難しくありません。一方、プラント業界は各自治体や取引先によって仕様がバラバラで、ニーズも多岐にわたります。そのため、画一的なパッケージでは対応が難しく、参入障壁が高かったのだと思います。
弊社では、長年プラント業界にいた私と他スタッフの経験を活かし、さまざまな仕様書に柔軟に対応できるロジックを組み上げています。取引先ごとに異なる記載項目やルールなどを不備なく反映させることで、あらゆる現場に対応できるようにしているので、もちろん一般的な建設・土木業界の方でも問題なく使っていただけます。
大細かな工程も見やすくなっている開発段階での苦労はどんなものがありましたか。
森川:膨大な写真に対して、整理やデータ処理を間違いなく行えるようにするための準備に時間がかかりました。AIに工事写真の内容を一枚一枚、「これはこういう写真だ」とプロンプト(指示)を設定して学習させていくのですが、工事の工程、内容、箇所など、相当な枚数の写真を読み込ませる必要があり、泥臭く大変な作業でした。満足のいく処理精度が出るようになるまでに、3年ほどかかりましたね。
2025年5月の正式ローンチ後、「CheeZ」を利用した方々の感想はいかがですか。
森川:皆さん、大変喜んでくださっています。誰でも使えるシンプルな構成であること、そして作業効率が飛躍的にアップしたことで「残業が減った」「家族との時間が増えた」といった嬉しいお声をいただいています。
建築業界以外でも、写真整理業務は需要があるのでしょうか。
森川:はい。大規模な写真データを処理してまとめる作業は、建設業界に限らず、不動産、ビルメンテナンス、物流などの業界にも存在しています。 いずれも多くの手間と時間がかかり、人件費も嵩みがちです。弊社独自の試算ですが、写真整理業務の市場規模はおよそ4,000億円にのぼると推定しています。
将来的には、他業界や海外への進出も視野に入れられているのですか?
森川:まずは現時点で数多くお問い合わせをいただいている方々のご期待にしっかり応えることが最優先ですが、将来的には他業界・海外への展開、どちらも考えています。
現在はプラントをはじめとする建設業界がメインですが、人力でのデータ管理業務が残る現場は他業界にも多くあるので、「Cheez」の開発で培った技術を活かして、横展開を進めていきたいですね。
海外進出については、特にインフラ整備が進むベトナムやタイなどのアジア圏を検討しています。多国籍な作業員がいる現場では言葉の壁が管理のボトルネックになりますが、弊社のアプリは、「ボタンを押して写真を撮るだけ」というシンプルなUIを意識しているので、直感的に使っていただけます。まずは日系企業の海外現場に導入いただくところからアプローチしていきたいですね。
「CheeZ」の展開が進んだ先に、どのような未来を見据えていますか?
森川:やはり原点には、身を置いてきた建設業界への想いがあります。現場監督という仕事は、本来すごくクリエイティブで、いわゆる「地図に残る」素晴らしい仕事です。 しかし、昔ながらの手法もまだ多く残っており、実際は事務作業に多くの時間を取られてしまっているのが現状です。そのため、本来もっと時間をかけたい「品質管理」や「安全管理」、そして「モノづくりの楽しさ」にじっくり向き合う時間が確保できないという悩みや、休日や家族との時間を優先しづらいといった課題を感じてきました。
作業の効率化を進めることで、現場の方々には本来の仕事に専念していただきたいですし、早く帰ってしっかり身体を休めてほしい。若い人たちにも、「建設業ってかっこいいな、働きたいな」と憧れてもらえるような業界にしていきたいですね。
最後に、ICTスタートアップリーグの感想を教えていただけますか。
森川:第一に、採択いただけたことが素直に嬉しく、大きな自信になりました。事務局の手厚いサポートにも、とても感謝しています。 リーグでは、AIとOCR活用による「時間コスト削減効果」を具体的な数値で実証することと、より入力をスムーズにするための「文字の推測機能」の向上に取り組んでいきたいと考えています。 アプリを改善して利用者の満足度を高め、建設業界だけでなく他業界にも展開できるサービスへと進化させていくことが今後の目標です。
「Cheez」はDX導入の第一歩をサポートする編集後記
AIによる圧倒的な業務効率化に加え、あえて「人の手による補完」を売りにする戦略が非常に興味深い。100%の精度が不可欠な現場のリアリティを知り尽くしているからこその判断であり、その根底には業界への深い愛情とリスペクトがある。テクノロジーで「雑務」をなくし、人間が本来の創造性を発揮できる時間を生み出すこと。森川氏が目指しているのは、単なる作業効率化でなく「建設業で働く人々の『人生』を豊かにする」ことなのだと感じた。
■ICTスタートアップリーグ
総務省による「スタートアップ創出型萌芽的研究開発支援事業」を契機に2023年度からスタートした支援プログラムです。
ICTスタートアップリーグは4つの柱でスタートアップの支援を行います。
①研究開発費 / 伴走支援
最大2,000万円の研究開発費を補助金という形で提供されます。また、伴走支援ではリーグメンバーの選考に携わった選考評価委員は、選考後も寄り添い、成長を促進していく。選考評価委員が“絶対に採択したい”と評価した企業については、事業計画に対するアドバイスや成長機会の提供などを評価委員自身が継続的に支援する、まさに“推し活”的な支援体制が構築されています。
②発掘・育成
リーグメンバーの事業成長を促す学びや出会いの場を提供していきます。
また、これから起業を目指す人の発掘も展開し、裾野の拡大を目指します。
③競争&共創
スポーツリーグのようなポジティブな競争の場となっており、スタートアップはともに学び、切磋琢磨しあうなかで、本当に必要とする分の資金(最大2,000万円)を勝ち取っていく仕組みになっています。また選考評価委員によるセッションなど様々な機会を通じてリーグメンバー同士がコラボレーションして事業を拡大していく共創の場も提供しています。
④発信
リーグメンバーの取り組みをメディアと連携して発信します!事業を多くの人に知ってもらうことで、新たなマッチングとチャンスの場が広がることを目指します。