2024年に香川県で設立された「日本ルースト株式会社」が取り組むのは、「地鶏の雌雄判定AI」の開発。日本各地で生産される地鶏は、鶏本来の豊かな旨味を味わうことができる人気食材だが、養鶏業界は現在、ヒヨコの雌雄を判別する鑑別師が不足しているという課題に直面している。日本ルーストは、この状況を改善して日本で長年発展してきた地鶏文化の保護・継承につなげるため、独自の雌雄判定AIを開発し全国への導入を進めている。
日本ルーストの代表である中野裕介氏に、開発の経緯や背景、そして今後の可能性について詳しく伺った。
中野さんは、日本ルースト株式会社を設立される前にも有限会社電マークを立ち上げ、代表を務められていると伺いました。日本ルースト設立までのあゆみを簡単にお聞かせいただけますか。
中野:東京で大学を卒業後、「ITに関わることをしたい」という思いを実現するため、2000年に地元・香川県で電マークを設立しました。その後は香川大学大学院に入学し、IT技術に関する学びを深めながら情報通信の研究を進め、IoT時代を先取りしたような製品を開発していたのですが、2011年に東日本大震災が発生し、プロジェクトがすべてストップしてしまいました。そこで事業を一新し、当時世界で興隆の兆しが見えていた映像事業に取り組み始め、地域で行われるイベントの動画配信や映像制作を行っていました。しばらくはこの事業に注力していたのですが、2016年に香川県で開催された「情報通信大臣会合」に映像配信で関わったことをきっかけに、同会合のテーマであったAI・ロボット技術に関心を持ち、「震災以降離れていた研究開発のフィールドにまた立ちたい」と思うようになりました。
震災前の研究発表を行う中野氏(2011年)そこから、どのように現在の事業へと発展していったのでしょう?
中野:まず、当時電マークに在籍していた外国人エンジニアと3か月ほどの短期間で「ヒヨコを優しく包み込むロボット」を開発してみました。
外国人チームが考えたコンセプト案
実際にヒヨコを優しく救い上げる双腕型ロボットのマニピュレーションなぜそのようなロボットを?
中野:私はイベント事業に従事していた経験上、「人がハッとする風景」が持つインパクトの価値を重視しています。そこで、昔アニメで見た、巨大ロボットが優しく人を持ち上げるシーンを再現できたら面白いなと思ったのです。ロボットが物をつかむのは当たり前ですが、優しく生き物をすくい上げるという動きをマニピュレーションできたら、多くの人の目を引くことができるのではないかと。
実際に開発した後、思わぬ方面から反響がありました。インド出身のインターンスタッフがいた関係で駐日インド大使にロボットを見ていただく機会があったのですが、その際にこの技術はインドでもニーズがある、ということを話してくださいました。インドでは、宗教的・文化的な理由から牛肉と豚肉は一般的にあまり食べられておらず、鶏肉が好まれていて、養鶏が盛んに行われているからです。
予想外の需要の手応えをつかんだことから、本格的にヒヨコを扱った事業を展開させていったのですね。
中野:はい。このヒヨコを扱うAI・ロボット技術の開発を続けながら、広く生物や生態系に関する研究開発事業を軸にした会社として、2024年に日本ルーストを設立しました。
日本ルーストでは現在、主に「地鶏の雌雄判定AI」の開発に取り組まれているそうですが、地鶏に着目したきっかけや背景を教えていただけますか。
中野:日本では、全国各地で実にさまざまな種類の地鶏が生産されています。日本国内を旅行したら、その地域の地鶏を、地域独自の調理方法で楽しむことができますよね。しかし近年、鶏の雌雄を判定して地鶏の生産を支える鑑別師が、高齢化や後継者の確保が難しい状況などを理由に不足しているのです。
日本鶏資源開発プロジェクト研究センターにて特別天然記念物「尾長鶏」と雌雄鑑別師の不足は、どのような影響を及ぼすのでしょうか。
中野:鑑別師は、生まれてすぐのヒヨコの肛門を見て、オスかメスかを判断します。この時期で雌雄の鑑別を行うには専門技術が必要とされ、高度な技術を習得した鑑別師がいなくなってしまうと、鶏がある程度育った後に雌雄を判別しなくてはいけなくなります。そうなると、鶏の餌代など生産コストが嵩み、農家の負担がどんどん増えてしまいます。地域振興の側面からも重要な価値を持つ地鶏を、人手が不足している中でもより効率よく、安定して生産・流通させることが必要になっているのです。
そうした状況の解決を目指し、鑑別師に代わるAI技術を開発されていると。
中野:ヒヨコのオスの肛門には非常に小さな突起物があるのですが、その大きさは個々によってバラバラだったり、メスにも突起のようなものがあったりする場合があります。そうした個体差があるヒヨコの肛門の画像を高画質データで30,000枚以上集め、AIに学習させています。実際に開発した製品では、ヒヨコの肛門をカメラに向けると、雌雄の判定がすぐに表示されるようになっています。
肛門の形状の違い(点線部分に生殖突起が見られる)日本ルーストのAI技術が持つ強みとは、どのような部分ですか?
中野:電マークの映像事業で培ってきたノウハウを活かし、膨大な数の画像をAIに学習させるだけでなく、コンピューター制御でAIが判断しやすい画像の撮り方をカメラに設定させるなどして、精度をより向上させています。撮像環境にも工夫を重ねて技術を改良し、98%以上の判定精度を達成を目指しています。
地鶏の雌雄判別AIに関する事業は、現在実際に運用が進められている段階でしょうか。
中野:はい。地鶏を育てる全国の農家や公設試験場に採用してもらうために動いており、実装や評価実験が進行中です。現在は、希少な地鶏である「土佐ジロー」の鑑別を高知県から受注し、本格的な導入に取り組んでいます。他にも、さまざまな種類の地鶏を撮影してAIの精度を高めるために、熊本県、愛媛県など連携している全国の公設試験場や大学を回っています。
高知県畜産試験場での評価実験(2025年12月)公設試験場などとは、どのようなきっかけで関係性を作っているのでしょうか?
中野:私たちが公設試験場で導入を進められたり、大学と連携できたりしているのは、2018年に総務省の「異能vation 破壊的挑戦部門」に採択されたことが大きいですね。当時はヒヨコの雄雌判定モデルを試作していたのですが、異能vation採択のおかげで、さまざまな方に認知していただくことができ、複数の地域で協力体制が広がっています。このような連携をもとに、各地域の養鶏業界が持つ課題を、公設試験場や大学とともに解決していきたいと思っています。
インタビュー前半では、インドでのニーズがあるというお話もありました。海外の養鶏業界も、日本と同じように課題を抱えているのでしょうか。
中野:グローバルにみると、豚肉や牛肉に比べて鶏肉の消費量は拡大しています。鶏肉がタブーとされている宗教は少なく、また欧米や日本でも、ヘルシー志向などによって鶏肉が好まれる傾向があるからだと考えられています。このように鶏肉の需要が高まる一方で、日本国内の状況と同様、海外でも鑑別師が不足しています。世界中で鶏の生産を効率よく行うためにも、雌雄の鑑別をなるべく低コストかつ正確にできるようにすることが重要になってくるのです。
PoultryIndia_インド展示会出展ブースますます、雌雄判定AI技術の海外への展開が期待されますね。
中野:現在は日本の地鶏を中心に事業を進めていますが、まず今後は食肉専用に品種改良され、現在国内で最も流通している鶏肉である「ブロイラー」も対象として、雌雄判別AI技術を拡大させていくつもりです。海外でも一般的にブロイラーの生産・流通が盛んに行われているため、同様の技術を使ってグローバルに市場を展開させていくことができると想定しています。
「地鶏の雌雄判定AI」の他にも進められている事業はありますか?
中野:現在、プランクトンの増殖が原因となって発生する、「赤潮」に関する問題にも取り組んでいます。赤潮が発生してしまうと、海の生物や漁業、養殖業に大きな影響が出てしまうため、日本各地で赤潮の発生や深刻化を防ぐ対策が講じられています。私たちはプランクトンの集計をAIで自動化できないかと、研究開発を進めています。
プランクトン検出赤潮によって、実際にどのような被害が出てしまうのでしょうか。
中野:九州では赤潮発生による海中酸素の減少などで、年によっては数十億円規模の漁業被害が生じ、切迫した問題になっています。私たちの地元の香川県では近年赤潮は発生していないものの、赤潮発生の注意報が出ることがあります。注意報が出た場合は赤潮の本格的な発生と悪化を防ぐため、養殖しているハマチやブリなど魚への給餌を止めなくてはなりません。餌を与えることができないと、魚が大きく育たないケースも多く発生してしまうため、養殖業に大きな影響が出てしまうのです。
また赤潮以外にも、瀬戸内海や有明海では、養殖している海苔が黒く色付かないという問題が起こっています。その原因として考えられるのは、夏に増えるコアミケイソウという大型の植物プランクトン。これが秋口まで多く生息してしまい、海が栄養不足に陥っていることが原因なのではないかと想定されています。
身近な海の中でも、実に幅広い問題が発生しているのですね。
中野:地域によって海水温度や漁業・養殖業の規模などが異なっているので、日本国内でも、それぞれの問題に対する意識や考え方にも違いがあります。AIなどのテクノロジーだけでなく、私たちがもともと持っている映像技術も活用しながら、各地の問題をひとつひとつ解決していきたいと思っています。
さらに今後、会社や事業をどのように成長させていきたいとお考えですか。
中野:今開発している技術は、海外だけでなく、人間が宇宙に出た際にも、食料を生産し続けていくために必要なものになると思っています。
宇宙ですか!
中野:30年後には、人類は火星に到達していると思いますし、ゆくゆくは100人、200人が火星に基地を作って生活するような時代も来るかもしれないですよね。ある計算によれば、人間が1年間に食べる量は、1トン近くになるそうです。当然、宇宙でも安定した食料の生産体制が必要になります。
まずは植物工場のようなものを作るところから始まるのかなと想像しますが、おいしい実や果物を食べたいと思ったら、花粉を運ぶミツバチのような媒介者が必要になるといったように、自然界の生態系から離れて考えることはできません。それこそ鶏肉を食べたいというニーズも生まれるでしょうから、私たちの取り組む生物・生態系AI技術は、人間が地球の外に出た先にも大きな市場があると思っています。
想像がふくらみますね。
中野:将来的に「宇宙で最初に鶏を生産したのが日本ルースト」ということになったら面白いなと思っています。そうした大きな目標を実現させるためにも、まずは「生き物に関することなら何でも相談したい」と思ってもらえる会社になれるよう、引き続き研究や開発に尽力していきます。ICTスタートアップリーグに参加したことで、このようにメディアで当社について紹介していただく機会も増えますので、より多くの方に日本ルーストの事業とそのビジョンを知っていただけたら嬉しいです。
編集後記
ヒヨコの雌雄をより正確に判定するため、AIの学習量を増やし、システムの精度をさらに高めている日本ルースト。しかし中野さんは、「生き物を扱う以上、AIの進化だけを追い求めて生物の多様性に目を閉ざすようなことがないようにしたい」と話す。カンブリア紀の「大爆発」と呼ばれる生物の急激な拡大以降、生物は自然環境に対応し多様化を続けてきた。人間、さらにはAIでも扱いきることが困難な地球の豊かな生態系への、中野さんのリスペクトの姿勢を感じるインタビューだった。
■ICTスタートアップリーグ
総務省による「スタートアップ創出型萌芽的研究開発支援事業」を契機に2023年度からスタートした支援プログラムです。
ICTスタートアップリーグは4つの柱でスタートアップの支援を行います。
①研究開発費 / 伴走支援
最大2,000万円の研究開発費を補助金という形で提供されます。また、伴走支援ではリーグメンバーの選考に携わった選考評価委員は、選考後も寄り添い、成長を促進していく。選考評価委員が“絶対に採択したい”と評価した企業については、事業計画に対するアドバイスや成長機会の提供などを評価委員自身が継続的に支援する、まさに“推し活”的な支援体制が構築されています。
②発掘・育成
リーグメンバーの事業成長を促す学びや出会いの場を提供していきます。
また、これから起業を目指す人の発掘も展開し、裾野の拡大を目指します。
③競争&共創
スポーツリーグのようなポジティブな競争の場となっており、スタートアップはともに学び、切磋琢磨しあうなかで、本当に必要とする分の資金(最大2,000万円)を勝ち取っていく仕組みになっています。また選考評価委員によるセッションなど様々な機会を通じてリーグメンバー同士がコラボレーションして事業を拡大していく共創の場も提供しています。
④発信
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