ICTスタートアップリーグに採択された事業の中には、海外展開を視野に入れているケースも多い。しかし、株式会社トイエイトホールディングスの立ち位置はそれらとは少し異なる。そもそも創業のきっかけが東南アジア現地の教育課題にあり、すでに現地が活動のベースになっているからだ。
採択された事業は「AI発達評価を活用した包括的就学前支援」。小学校入学前の子どもを対象に、AIを活用したデジタル発達検診と個別最適化の早期介入プログラムによって、包括的な就学前支援モデルを構築することである。かみ砕いて言えば、就学前の子どもの発達状況を科学的に「見える化」することで、一人ひとりに最適化された学びと支援を提供するのだ。
発達検診(発達検査)とは、言語、運動、社会性といった子どもの心身の発達状況を、積み木や玩具などの遊び、問診などを通し、年齢と比較して客観的に評価する検査。日本では3歳児健診などの定期健診で実施されることが多い。いわゆる発達障害の発見にもつながるが、大きな目的は発達段階の現状把握、得意・不得意の理解など、子どもを深く理解すること。結果的にそれが子育てや教育の指針や支援につながる。トイエイトは東南アジアにおいて、この発達検診の進化と普及に取り組んでいるのである。
東南アジアを舞台としているのは、共同創業者である石橋正樹氏のキャリアが色濃く影響している。大学卒業後、海外の日本人学校の運営に携わる外務省の外郭団体に勤務。そこで東南アジアの初等教育の状況にショックを受けたことが、起業に至る原体験になっているという。石橋氏の人生を変えたショックとは何か? 事業の詳細とともに聞いてみた。
株式会社トイエイトホールディングス共同創業者 石橋正樹氏大学卒業後に勤務した外務省の外郭団体とは、どのような団体だったのですか?
石橋:海外子女教育振興財団と言いまして、世界各地の日本人学校など海外勤務者の子女の教育に関連するあらゆる支援活動を行っている団体です。
そこで東南アジアの初等教育にショックを受けた。
石橋:はい。英語でさまざまな教科を学ぶイマージョン教育(イマージョン・プログラム)を、シンガポールの日本人学校で導入実験をするとなり、私はそのプロジェクト担当募集に応募して採用されました。プロジェクトではシンガポールの教育事情をリサーチすることも業務の一部だったのですが、そこで見た当時の実情が衝撃で……。
具体的には?
石橋:シンガポールの小学校では、先生が鞭を持って授業を行っていたのです。「子どもは先生に従うもの」という意識で、逆らえば鞭による罰がある。約25年前の話で、今のシンガポールではそんな光景はなくなりましたし、当時も高等教育の段階に進めば、そんなことはなかったのですが。東南アジアの中では進んでいるシンガポールでそうでしたから、他の東南アジア諸国の初等教育でも推して知るべし。先生といってもベビーシッターのような役割で、なかには教員として本当にふさわしいのか疑わしい人材もいる。教室に児童の自主性などなく、ただ大人しくしていてくれればいいという感覚で運営されていて、そこにショックを受けました。逆に「初等教育が変われば東南アジアは飛躍的に成長する」という確信も得ました。
日本の初等教育とはずいぶん異なりますね。
石橋:日本に残されたアセットの一つが初等教育ではないか、と感じています。片付けなどしつけの部分も含めしっかりと行う基礎教育は、他の国ではあまり見たことがありません。シンガポールも最近は初等教育に力を入れていますが、蓄積された経験、データ、教員の質といった点は、まだまだ日本に優位性があります。
では、その「ショック」がどう起業に結びついたのでしょう?
石橋:財団での仕事を通して海外で働く面白さを覚えたので、日本人学校の業務を終えた後は海外に駐在してアジアの経済ニュースを報じる通信社に転じました。こうした経験が生きて、その後はコンサルグループに転職します。最初はリサーチャーが主な役割だったのですが、最終的には東南アジア事業戦略担当として多様な業界のプロジェクトに携わるようになりました。
すぐ起業をしたわけではないのですね。
石橋:はい。起業のきっかけはコンサル時代です。一つはちょうど私にも子どもができたのですが、子どもが何を学んで、何の仕事をするのがよいのかイメージがわかなかったのです。私たちが子どもの頃は「よい大学から大企業」といったレールが一つありました。個人的にそのレールは嫌でしたが(笑)。しかし、今はそういったレールだけが正解とは言えない時代。そこで子どもが何を学ぶのがよいのか、分からなかったのです。
ご自身のライフステージの変化が理由の一つだった。
石橋:もう一つは同時期にコンサルの業務で、ある日本企業の東南アジア進出プロジェクトを手がけたことです。教育事業で子どもの才能を伸ばす設計を施したプレイグラウンドを展開するという内容で、初等教育や子育てについていろいろと考えていた自分にとってやりがいのあるものでした。ただ、残念ながらコロナ禍の影響でプロジェクトを撤退することになって……。これはもったいないと思い、子育てや教育事業について同じような思いを抱いていたトイエイトの共同創業者と事業を引き継ぐ形で起業することにしたんです。我々が手がけることで、プレイグラウンドにセンサーなどを設置し、子どもの発達度合いや才能や特徴、夢中になっていることを可視化するなど、より進化したシステムとして提供したいという意気込みもありました。
スコア結果をクラウド上で処理し、健診レポートを発行起業することで、かつて感じた「初等教育が変われば東南アジアは飛躍的に成長する」という確信を、自らが実証することになったのですね。
石橋:はい。直接的には子どもが遊んでいる様子をセンサーやカメラで測定、AI解析によって子どもが何に夢中になっているかを見つけてあげたい、というのが当初の動機でした。子どもが夢中になっていること、好きなことは何かを、親ができるだけ早い段階で見つけてあげることができれば、子育てや教育の指針も立てやすく、後々の進路や就職においてもアドバイスがしやすい。
それが事業としては発達検診に特化することになったのはなぜでしょう?
石橋:このアイデアを実現するにはたくさんのデータが必要です。ただ、起業したばかりのスタートアップが「お子さんが遊んでいる様子を動画で送ってください。送っていただければ診断しますよ」と言っても、怪しまれて誰も送ってくれないでしょう。そこで、まず社会課題の解決に特化することにしました。東南アジアの国々は、発達検診の分野でまだ遅れがありましたから。
最初はどこの国で行ったのですか?
石橋:マレーシアです。マレーシアには発達検診が制度として存在しないのが社会課題となっていました。専門医が首都のクアラルンプールに5人前後しかいないので、常に1〜3年レベルの予約待ちで、かつ診断には高額の費用がかかるのです。一方で当時のマレーシア政府は先進技術で社会課題を解決することに力を入れており、企業誘致と補助金の点で優遇政策を行っていた。そこで自分たちの技術を発達検診に置き換えて我々も参画することにしたんです。結果、マレーシアは社会課題の解決につながり、我々もさまざまなデータを得られる。
Win-Winだったわけですね。
石橋:はい。ただ、実際に行ってみると発達検診がない国は、発達に遅れのある子どもであっても、それを周囲が認めないことで、発達格差自体があまりないように見せているような実態も分かってきまして……。
それまで手つかずの問題だったのでしょうね。
石橋:保護者や教員の理解が足りず、解決したくてもどうしたらいいか分からない、という実情もあったと思います。よって、発達検診をするだけではなく、発生した問題を解決するソリューションを提供することも事業になりました。
具体的にはどのような方法で検診や解決をされているのでしょうか。
石橋:まずスマホを利用して、子どもに20分くらいのタスクを与えます。それをカメラでとらえ、タスクの正誤判定をもとにスマホで検診結果のレポートを出します。手や指先の動き、目と脳のコーディネーションといった画像・音声の解析に日本の発達検診のデータも加えたアルゴリズムを組んでいますので、専門医がいなくても精度の高い検診結果を出せるのが特長です。
発達検診がグッと身近になりますね。
石橋:さらに検診結果で遅れが見られた場合は、その内容によって早期介入プログラムを提供したり、場合によっては即医師を紹介したりするまでが一つの流れですね。ICTスタートアップリーグでは、この発達検診をより進化させたいと考えています。
ゲーム形式で楽しく健診が進む。専門家不在でも高い完了率事業の今後の展望を教えてください。
石橋:マレーシアでの事業化には成功しましたので、現在は東南アジア各国へと展開を進めています。特にさまざまな面で東南アジアのスタンダードはシンガポールですから、比較実証実験によりシンガポールで採用されている発達検診の公式ツールと同じレベルの結果を出したいですね。
ポイントはどういった点になりますか?
石橋:偽陰性、偽陽性でしょうか。発達の遅れがある子どもがスルーされる、逆に問題がないのに遅れがあるとされる。そういった感度・特異度について、医師の診断と同じレベルまで引き上げなければなりません。
ハードルは高そうですね。
石橋:私たちのツールは医療機器ではないのですが、医師と同じ結果が出ないと信頼性も高まりませんから。感度・特異度については、結果を元に画一的に診断するだけではなく、医師の柔軟で応用力のある判断基準や数字の見方などもアルゴリズムに取り入れ、カットオフ値(検査結果などで「陽性」か「陰性」か、あるいは「正常」か「異常」かの境界となる数値)を調整したいと考えています。これを東南アジア各国各地域の特性に合わせて分析、調整することで、東南アジア全体に適用可能な標準モデルを確立していきたいです。
日本での展開は?
石橋:日本でもやりたい思いはありますが、発達検診について、日本はアジアの中でもしっかりできています。現在の会社の規模的にも、まずは東南アジアでの展開が先ですね。ただ、我々の事業により東南アジアにおいてデジタルによる発達検診のエコシステムを確立できれば、日本への提供もあると思っています。日本の地方では人口減少による人手不足により今まで通りの発達検診を行うことが難しくなる可能性もありますから。
ICTスタートアップリーグに参加しての感想はいかがでしょうか?
石橋:他のアクセラとは熱狂のスケールが違いますね。携わっている多分野の第一人者の方といろいろな機会で実際にお話ができるし、みなさん、出し惜しみなくさまざまな情報を与えてくれたり、意見を聞いていただきフィードバックをもらえたりする。非常にインタラクティブだと感じます。
リーグアカデミーにも参加されたそうですね。
石橋:はい。いろいろな人がリーグアカデミーにいて、質疑応答にも真面目に答えている。それらの話は自分に対しての回答でなくても得るものが多い。多くのアクセラは良くも悪くも担当者一人とのやりとりしかなかったりして、期間が終わったらほぼ関係もなくなります。その点でICTスタートアップリーグには「厚み」がある。インタラクティブと厚みという点で、「リーグ」と名付けた意味がよく分かります。自分もリーグの一員でいたい、所属するだけではなく脚光を浴びてアカデミーで登壇する立場になりたいと思わされます。
第1回スタートアップリーグアカデミーのバリューアップセッションでは急きょ登壇しました。
石橋:当日、バリューアップセッションの枠が1つ急遽空いたため、自ら手を挙げて発表させてもらいました。参加する方々に自分の名前を覚えてもらうチャンスだと思ったんです。恥ずかしながら、準備不足もあり内容はボロボロでしたが、何名かの方に「面白そうだから詳しい話を聞かせてほしい」と声をかけられて、後日、お会いしたこともあります。我々は東南アジアに強いのが特長、そこに興味をもたれた方もいらっしゃいました。ICTスタートアップリーグの中で「東南アジア案件ならトイエイト」と覚えてもらえたらいいかな、と。
ありがとうございます。では最後に事業も含めた今後の夢を教えてください。
石橋:一言で表現すれば「すべての子どもたちが、ありのままで受け入れられる世界」をつくりたいです。発達障害というのは、ある種、現代社会が作った画一的な枠組みとの「ミスマッチ」によって生じている側面が強いと考えています。その枠組みに子どもが縛られるのはかわいそうです。子どもたちは皆、それぞれ何らかの才能を持っています。すべての子どもが、各々の才能を発揮できる世界を実現するエコシステムをつくり「あれはトイエイトの事業なんだよ」と言われるようになりたいですね。
発達の専門家が社内に常駐し、日本人学校の療育をサポート編集後記
大学卒業後、すぐに海外へと飛び出した石橋さん。しかし、ほんの1年前までは海外で働く気など全くなかったという。
「大学では体育会の硬式野球部にいて副主将も務めていました。当時は『最年少の甲子園出場監督』を目指して、野球に打ち込んでいましたね」
それが、就職が近づくにつれ「野球を取った自分には何が残るのだろう?」という疑問を抱くようになったという。そのタイミングでたまたま海外子女教育振興財団の募集要項を発見。「面白そうだ」と自分を試す意味で応募したという。
結果的に海外で働く楽しさを覚え、コーディネーター業務終了後も野球の道に戻らず、海外で生きていく道を選んだ。
人生は一瞬、あるいは一つの決断で大きく変えることができると教えてくれるエピソードである。
■ICTスタートアップリーグ
総務省による「スタートアップ創出型萌芽的研究開発支援事業」を契機に2023年度からスタートした支援プログラムです。
ICTスタートアップリーグは4つの柱でスタートアップの支援を行います。
①研究開発費 / 伴走支援
最大2,000万円の研究開発費を補助金という形で提供されます。また、伴走支援ではリーグメンバーの選考に携わった選考評価委員は、選考後も寄り添い、成長を促進していく。選考評価委員が“絶対に採択したい”と評価した企業については、事業計画に対するアドバイスや成長機会の提供などを評価委員自身が継続的に支援する、まさに“推し活”的な支援体制が構築されています。
②発掘・育成
リーグメンバーの事業成長を促す学びや出会いの場を提供していきます。
また、これから起業を目指す人の発掘も展開し、裾野の拡大を目指します。
③競争&共創
スポーツリーグのようなポジティブな競争の場となっており、スタートアップはともに学び、切磋琢磨しあうなかで、本当に必要とする分の資金(最大2,000万円)を勝ち取っていく仕組みになっています。また選考評価委員によるセッションなど様々な機会を通じてリーグメンバー同士がコラボレーションして事業を拡大していく共創の場も提供しています。
④発信
リーグメンバーの取り組みをメディアと連携して発信します!事業を多くの人に知ってもらうことで、新たなマッチングとチャンスの場が広がることを目指します。
■関連するWEBサイト
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