コラム
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2万件の債権回収で見えた「悪意なき未払い」――弁護士起業家がスマホで挑む“優しい司法革命”【2025年度ICTスタートアップリーグメンバーインタビュー:株式会社AtoJ】

「法的な正義」は万人に平等なはずだ。しかし現実には、コストや手間の壁に阻まれ、救済を諦める人々が数多く存在する。法曹界には、法的支援が必要な人のうち実際にアクセスできているのはわずか2割という「2割司法」の現実がある。特に数万〜数十万円単位の「少額債権」トラブルは、弁護士費用が回収額を上回る「費用倒れ」が常態化しており、司法の空白地帯となっている。

この巨大な社会課題に「テクノロジー×法×デザイン」で挑むのが株式会社AtoJだ。同社が運営する「OneNegotiation」(以下、ワンネゴ)は、法務大臣認証を受けた日本初の金銭トラブル特化型ODR(オンライン紛争解決)サービス。従来の手続きをスマホ上の入力とチャット交渉に置き換え、安価かつ迅速な解決を実現する。「少額だから」という泣き寝入りをなくす新たな社会インフラとして注目を集めている。

弁護士でありながら、なぜ安定したレールを外れスタートアップの道を選んだのか。その背景には、2万件もの債権回収現場で見た深い人間洞察があった。株式会社AtoJ代表取締役COOの冨田信雄氏に、その原点とビジョンを聞いた。

株式会社AtoJ共同創業者・代表取締役COO冨田氏株式会社AtoJ共同創業者・代表取締役COO冨田氏

「ものづくり」への憧れと、エリートへの反骨心

まずは冨田さんのルーツからお伺いしたいのですが、いつ頃から弁護士を志したのでしょうか?

冨田:具体的に意識し始めたのは、高校生の頃ですね。

それ以前、もっと小さい頃はどんなことに興味をお持ちでしたか?

冨田:「ものづくり」ですね。私の両祖父がそれぞれ事業を興した人間でして、父方は大型船舶の舵の製造設計、母方は建築士として設計事務所を営んでいました。父方の祖父は世界唯一の技術でグローバルに事業を展開し、母方の祖父は下請けをせず元請けだけで事業を拡大していくどちらも気骨のある人でした。小さい頃からそういう「作り手」や「職人」の背中を見て育ったので、彼らに対する憧れとリスペクトはずっと持っていましたし、私の原点とも言えます。父も家業を継いで、自動操船領域で多くの発明を生み出しています。

根っからの「作り手」の家系なんですね。そこからなぜ、高校時代に全く違う「弁護士」を目指すことになったのですか?

冨田:きっかけは父の「弁護士という資格には面白さがある」という一言でした。なぜ父がそう勧めたのか、真意は定かではありません。ただ、正直に言うと、私は学生時代「真面目な優等生」では全くありませんでした。だからこそ、一流大学から大企業へ……という「エリートコース」を進む同級生たちを見て、「自分にはあの生き方はできない」と早々に悟っていたんです。

その頃から「起業」という意識はあったのですか?

冨田:両祖父や父の影響もあり、起業への憧れやロマンは持っていました。ただ、当時の自分にスティーブ・ジョブズのような画期的なアイデアが降って湧いてくるわけでもなくて。今にして思えば、何者でもない自分が社会に出たとき、どうやって彼らと渡り合い、面白いことができるのか。そのための「武器」を本能的に求めていたんだと思います。

「武器」ですか。

冨田:はい。実際になってみて感じたことですが、弁護士資格は、いわば社会への「ファストパス」のようなものでした。弁護士バッジさえあれば、社会に出たその日から企業の社長や職人さんなど、いろんな人に会うことができる。当時はそこまで明確には言語化できていませんでしたが、「これさえあれば最強の武器になるんじゃないか」という感覚で、法曹の世界に飛び込みました。

また、大学院時代の恩師の影響も大きいです。彼はもともと通信の国際標準の仕組みを作ったり、スーパーコンピューターのプロジェクトを動かすなど社会構造をデザインしてきた方で、「法律もまた、人の夢をかたちにするための社会を動かす『仕組み』の一つである」という視点を教えられました。

単に法律を知るだけでなく、それを使ってどう社会を設計するか、という視点ですね。

冨田:まさにそうです。法律家というと既存のルールを守る側というイメージがありますが、本来は「新しい仕組みを作って人の夢を形にする」クリエイターでもある。夢をかたちにしてきた恩師と出会ったことで、その面白さに目覚めたことが、今の事業にもつながっています。

システム検討風景システム検討風景

2万件の債権回収で見えた「悪意なき未払い」の正体

司法試験合格後、最初はどのようなお仕事をされていたのですか?

冨田:入所した法律事務所では、主に事業再生の案件を担当していました。倒産寸前の中小企業と伴走したり、企業や個人の再建を目指すハードな現場です。24時間365日再生の現場を考えながら、それと同時に、大学の研究員として産学連携の支援をしたり、家業の手伝いをしたりと、1年目から3つの場所を行き来する生活をしていました。

1年目から“三刀流”とは、すさまじい忙しさですね……。

冨田:今振り返るとゾッとしますね。休む暇なく働いて、当時は周りから「どんなタイムスケジュールで生きているの?」と言われるほどでした。その中で、私の起業の原点とも言える強烈な経験をしました。事務所のプロボノ(公益)活動として、病院や公営住宅などで発生している「少額未払い金」の回収業務を担当したんです。

具体的にはどれくらいの規模だったのでしょうか。

冨田:全体で2万件を超えていました。通常、こうした大量の少額回収業務はコールセンターなどに外注することが多いのですが、私たちの事務所は「弁護士が最前線に立つ」という信念を持っていました。書面作成から電話交渉まで、全部私たち弁護士が行なったんです。来る日も来る日も、受話器越しに何千、何万人という「払えていない人(債務者)」と直接向き合い続けました。

壮絶な現場ですね。実際に2万件ものケースに触れてみて、何か気づきはありましたか?

冨田:一番の衝撃は、「根っからの悪人はほとんどいない」ということでした。世の中では「借金を返さない人=だらしない人」というイメージがあるかもしれません。でも、実際に話を聞くと事情は全く違いました。「うっかり忘れていただけ」「窓口で解決したと勘違いしていた」「生活が苦しく優先順位が下がってしまった」……といった決して悪意があるわけではない人ばかりだったんです。そしてそれは、事業再生の現場で一緒に再建すべく奔走する債務者の方々を思い返したときに、すごく腹落ちをしました。

払う意思がないわけではないんですね。

冨田:そうなんです。中には、事業者に対する些細な不満があって、「あの時の対応が納得できないから払いたくない」と意固地になっているケースもありました。つまり、これらは「法律問題」というより、コミュニケーションの行き違いやボタンの掛け違いが原因でトラブルに発展しているケースがほとんどだったんです。

コミュニケーションのズレ、ですか。

冨田:ええ。それなのに金額が少額ゆえに弁護士も雇えず、法的な解決手段にアクセスできない。結果、問題が放置され関係が悪化し、債務者は後ろめたさを抱え続ける。もちろん、未払いを回収する作業をする債権者も気持ちの良い作業ではありません。その業務によってメンタル不調になる職員もみてきました。この「少額で大量に発生するトラブル」こそが、既存の司法制度が救いきれていない氷山の水面下にある巨大な領域だと確信しました。ここを解決する仕組みを作らなければ、本当の意味での「法の安心」は届けられていないのではないかと。

チーム内MTGを行う冨田氏チーム内ミーティングを行う冨田氏

「OneNegotiation」誕生前夜——ブルーオーシャンへの航海

その原体験が創業につながるわけですね。起業の経緯について教えていただけますか。

冨田:2020年頃、共同創業者の森(AtoJ代表取締役CEO)から「ODR(オンライン紛争解決)で事業をしたい」という話を聞いたのがきっかけです。森とは共に大阪弁護士会のベンチャー支援プロジェクトチームに所属していて、私はAI、森はODRの研究をしていました。

森さんからの提案はどういった内容だったんですか?

冨田:「世界的にODRの流れが来ているから、日本でも事業化したい」という話でした。ただ、当時世界のODR事例と言えば、離婚や相続、ネットショッピングのトラブルなどが主流。創業メンバーの中には他にもODRを研究していた者もいたので、「離婚ODRの方がニーズがあるんじゃないか」「選択肢を選ぶだけの簡易な仕組みは、果たしてODRと呼べるのか?」といった議論になり、それこそ喧々諤々の状態でした。

チーム内でも意見が割れたんですね。

冨田:ええ。でも私は森にはっきり言いました。「離婚や相続にはすでに弁護士がついている。私たちが事業にすべきは、ソリューションが存在しない『少額大量トラブル』の領域で、ここにODRというテクノロジーを実装しなければ意味がない」と。私が2万件の回収現場で見たあの「痛み」を解決できるならやる意味がある。「この市場の課題解決をしないならやらない。ここをやれるなら一緒にやる」と条件を出しました。

すごい熱量ですね。森さんの反応はいかがでしたか?

冨田:森からは「もしダメだったらピボット(方向転換)しよう。でも、念のため『円満離婚ドットコム』の商標だけは取らせてくれ」と言われました。そうして共同創業したわけですが、結果としてピボットすることなくこの領域で進むことができ、さらなる拡張性が見えています。

「OneNegotiation」UX検討風景「OneNegotiation」UX検討風景

「解決率60%」を実現する、UI/UXという機能美

従来は費用倒れで「諦めるしかなかった(解決率ほぼゼロ)」領域において、ワンネゴが約60%もの解決率を実現しているというのは驚異的な数字です。秘訣はどこにあるのでしょうか。

冨田:サービス開始当初は解決率25%程度でしたが、徹底的に磨き上げたのが「UI/UX(ユーザー体験)」でした。トラブルの当事者は、不安や後ろめたさ、怒りなど複雑な感情を抱えています。そこに無機質な法的手続きを押し付けても、心は閉ざされてしまいます。

確かに、いきなり「法的措置をとります」という通知は怖いですよね。

冨田:そうなんです。だからワンネゴは徹底的に「柔らかさ」と「シンプルさ」を追求しました。スマホ一つで完結し、文字を入力する必要すらなく、選択肢だけで自分の意思を伝えられるようにしたんです。「払えない事情がある」「分割なら払える」といった意思表示をワンタップで伝えられる。この「心理的なハードルの低さ」が重要なんです。

なるほど、文字を打たなくていいというのは利点ですね。

冨田:文章を考えるのはストレスですからね。また、間に中立的なシステムや調停人が入ることで、感情的な対立を整理し、コミュニケーションのズレを整えることができます。債務者の方も、心のどこかで「モヤモヤした状態」を解決したいと思っている。ワンネゴは、その背中をそっと押す「柔らかいコミュニケーションのインフラ」として機能しています。

デザインや言葉選びに、冨田さんが現場で培った知見が詰まっているわけですね。

冨田:おっしゃる通りです。かつて事業再生の延長で、その事業をクリエイターやデザイナーと共に「どう伝えれば人の心は動くか」を追求してきた企業ブランディングの経験が生きています。デザインは単なる装飾ではなく、司法アクセスのための重要な機能なんです。

同社創業メンバー同社創業メンバー

ICTスタートアップリーグと共に、社会実装を加速させる

AtoJは今年度、ICTスタートアップリーグに採択され、10月22日のアカデミーではバリューアップセッションに登壇しました。そこで発表した事業内容についてメンターの皆さんも納得されている様子でした。

冨田:リーグを通じて、メンターの方々や他の採択企業から多くの刺激を受けています。特にアカデミーでは、我々のような「フィンテック(金融×技術)」と「リーガルテック(法×技術)」を混ぜ合わせたような少し難解な領域について、「これは社会に必要なインフラだ」と強く背中を押していただきました。自分たちの取り組みが間違っていないという確信と、もっと広く伝えなければという使命感を新たにしましたね。

最後に、今後の展望をお聞かせください。

冨田:私たちが目指すのは、単なるトラブル解決ツールの提供ではありません。「ワンネゴ」という仕組みが社会に実装されることで、行き違いや思い違いで生まれる不幸な断絶を減らし、人と人がもっと滑らかに関われる世界を作ることです。今回の採択を機に、研究開発と社会実装をさらに加速させ、日本中、そして世界中の「司法へのアクセス」を変えていきたいと考えています。

編集後記
「学生時代は真面目な優等生ではなかった」と笑う冨田氏だが、最難関の司法試験を突破した事実が、その言葉の裏にある並々ならぬ努力を物語っている。
「ものづくり」への憧れから、社会と戦う武器として「弁護士」を選び、現場で見た痛みを解決するために「起業」する――。一見、異色のキャリアに見えるが、その歩みには「自分の手で世の中を良くしたい」という一本の太い筋が通っている。この揺るぎない信念があるからこそ、彼はこの難解な社会課題の解決も成し遂げてくれるのではないか。そんな期待を抱かずにはいられない。
AtoJが構築しようとしているのは、人間関係の「もつれ」を解きほぐす「新たな社会インフラ」だ。ICTスタートアップリーグという追い風を受け、この「優しい司法革命」が日本社会に深く根付いていく未来を、強く信じたい。

■ICTスタートアップリーグ
総務省による「スタートアップ創出型萌芽的研究開発支援事業」を契機に2023年度からスタートした支援プログラムです。
ICTスタートアップリーグは4つの柱でスタートアップの支援を行います。
①研究開発費 / 伴走支援
最大2,000万円の研究開発費を補助金という形で提供されます。また、伴走支援ではリーグメンバーの選考に携わった選考評価委員は、選考後も寄り添い、成長を促進していく。選考評価委員が“絶対に採択したい”と評価した企業については、事業計画に対するアドバイスや成長機会の提供などを評価委員自身が継続的に支援する、まさに“推し活”的な支援体制が構築されています。
②発掘・育成
リーグメンバーの事業成長を促す学びや出会いの場を提供していきます。
また、これから起業を目指す人の発掘も展開し、裾野の拡大を目指します。
③競争&共創
スポーツリーグのようなポジティブな競争の場となっており、スタートアップはともに学び、切磋琢磨しあうなかで、本当に必要とする分の資金(最大2,000万円)を勝ち取っていく仕組みになっています。また選考評価委員によるセッションなど様々な機会を通じてリーグメンバー同士がコラボレーションして事業を拡大していく共創の場も提供しています。
④発信
リーグメンバーの取り組みをメディアと連携して発信します!事業を多くの人に知ってもらうことで、新たなマッチングとチャンスの場が広がることを目指します。

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