人類の活動の基盤でありながら、時に災害の原因ともなる「水」。その水が流れるあらゆる場所で、持続可能なエネルギーを生み出し、同時に水に関するデータを収集・活用する。これが、株式会社ハイドロヴィーナスが目指すビジョンだ。
同社が開発するのは、従来のプロペラ式とは異なる、世界唯一の振り子式流水発電機「ハイドロヴィーナス」。わずかな水の流れでも振り子を振動させることで発電し、ゴミも絡まりにくいという画期的な特徴を持つ。
この技術は、電線や通信網がない場所における電源問題や、水害予測・インフラ老朽化対策のための水路センシング(センサーを使って情報を検知し、数値化する技術)による治水DXを可能にする。
代表取締役の上田剛慈氏は、半導体業界での勤務などを経て独立。産学連携の共同事業を模索する中で岡山大学の比江島慎二教授と出会い、大学発のベンチャーとして立ち上げに参画した。
まずは河川や農業用水路などで通信ネットワークの基盤となる小規模電源・センシングの普及に注力し、その先には原発20機分に匹敵するエネルギーが流れる瀬戸内海での巨大潮流発電という、クリーンエネルギーの壮大な未来を見据えている。その熱い思いを聞いた。
株式会社ハイドロヴィーナス代表取締役の上田剛慈氏(右)岡山大学の比江島慎二教授(左)最初に就職したのは半導体洗浄装置メーカーだったそうですが、その経歴は、現在のエネルギー事業にどうつながっているのでしょうか。
上田:岡山大学の大学院を出て入ったのは、LSI(大規模集積回路)などの半導体を製造する工程で、微細な回路をショートさせないために必須となる洗浄装置を作るメーカーでした。そこで私は、ウェハー(半導体の基板)を薬品で洗浄し、乾燥させるプロセスのエンジニアをしていました。
その後東京大学の研究員となり、物理学の研究を行いましたが、これも半導体エレクトロニクスや、洗浄に関わる電気界面化学、そして物理学では量子力学を使ったセンサーなどのエネルギー分野でした。私にとってこの一連の経験は、「エネルギー」や「物質」について自分なりに完全に理解するためのプロセスであり、全てつながっていると思います。
そこから起業に至るきっかけを教えてください。
上田:物理と化学を学んだ研究者として、もともと環境問題や資源再生に興味がありましたが、そこには必ずエネルギー問題が絡んできます。そのため、まずその社会課題を解決したいと思っていたことが背景にあります。
大きな転機は、2011年の東日本大震災です。量子半導体物理分野での博士号取得後に就職した企業の勤務地が、仙台でした。震災直後のためまだ電気もガスも復旧していない状態で、福島の原発事故もあった直後でしたから、特にエネルギーは、いろいろなものの社会基盤として非常に大事だと痛感しました。また、限られた人生の残り時間を自分や家族にとって意味のあることに使いたいと思い、思い切って会社を辞め、起業しました。
独立後、まずは大学と民間企業をつなぐ産学連携でこの社会課題を解決したいと考えました。その流れの中で、「ハイドロヴィーナス」の根本技術を持つ比江島先生と出会い、その技術を基に先生と起業したのが現在のハイドロヴィーナスです。化学・物理を学んできた私の分野を横断した専門的知見とさまざまな経験が、「ハイドロヴィーナス」の技術にも生かされています。
御社の事業内容とサービスの独自性、そしてそれがユーザーに対してどのような課題を解決するのか、具体的に教えてください。
上田:弊社は、基本的には水力発電の会社です。ただし、単に発電するだけでなく、「水と共に生き、クリーンな未来を作る」という大きなミッションを掲げています。
水は人が生きるために必要不可欠なものです。また、私たちは海や川など水の近くで暮らしてもいます。しかしそれを発電用のエネルギーとしては、うまく利用することができていません。
その一方で、津波や水害など、水の被害で困ってもいます。そんな私たちの身近にある水とどうやって付き合っていくか、どうやってエネルギーに変えていくか、ということを念頭に、治水、農業、漁業といった、水と人間が密接に関わる分野でのDXを一つの柱にしています。
そのミッションをクリアするには、まず何が必要ですか。
上田:水を知ることです。そのためには電源の確保が必要です。つまり、端的に言えば「電源問題」です。AIを活用するためにデータを取る、人がいない場所にロボットを運ぶ、あるいはドローンを飛ばすなど、何をするにしても、まずは電源や充電ポートが必要になります。災害時であれば、非常用電源も求められるでしょう。
しかし地下や山奥、海中など、人がいない、人が入って行けない場所には送電網や電源がない、という共通の課題があります。だからといってそこに電線や通信網を張り巡らすというのでは、コストに合いません。
その電源問題を水のクリーンエネルギーで解決できるということでしょうか。
上田:今まで、「クリーンエネルギー」といえば、太陽光発電や風力発電、水力発電もそうですが、「電線につないで売電しよう」という動きがほとんどでした。しかし、それは私たちとしてはあまり望む方向ではない、この技術にとっても最大限の良さを引き出すものではない、と思っています。
その場で必要な電力を自ら生み出す電力の自給自足、「地産地消のエネルギー」こそが、弊社の一番大事な核、ということです。
そこで、御社独自の技術が生きると。
上田:はい。最大の独自性は、世界唯一の渦で動く「泳ぐ発電機」という点です。(送電網を使った売電という方向性ではない)水力発電分野でいうと、プロペラを回転させる水車式が多いのですが、「泳ぐ発電機」というのは極めて画期的です。
水の流れがある中に円柱や半円柱状の振り子(フィン)を置くと、周囲に渦が発生し圧力差が生じて強い力で揺れ動きます(流体励起振動)。揺れる動きがさらに渦を引き起こして増幅することで絶え間なく振動して発電します。また水車式発電とは異なり、ゴミなどの漂流物が絡まないところが利点です。水車式はどうしてもゴミを巻き取ってしまうので、設置場所にゴミが溜まりがちです。
それでは「クリーン」ではない?
上田:一見すると水車は環境調和的なエネルギーのように見えますが、水車を置いた自治体は結構ゴミ問題で困っています。必ずスクリーン(網)でゴミを引っかけて、それを誰かが掃除しなければならないので、太陽光発電などに比べると、圧倒的に設置費やメンテナンス費がかかります。また、スクリーンで川を堰き止めてしまうと、魚の遡上を妨げるといった環境への悪影響もあり、実際は環境に優しくないとも言われています。
御社の「泳ぐ発電機」は、そのような環境への負荷はないということでしょうか。
上田:はい。弊社の「泳ぐ発電機」は、潮流があれば投げ入れた瞬間から動いて発電し、設置が容易なことも大きな特徴です。緩い流れからでも元気に動き、ゴミも絡みません。この装置があることで、今まで電力を生み出すことができなかった場所でも電力を生み、蓄電が可能です。また、同時に水位や流量・流速を測る計測器にもなります。
どういう場所に設置することを想定していますか。
上田:河川でいえば、川の上流から下流まで置くことができます。小型化すれば地下水路に置くことも可能です。それの何がいいかといえば、先ほど申し上げた電源問題です。電線や通信網がないために今までデータが取れなかった場所でも、自分で発電してデータを取ることができます。
ハイドロヴィーナスは、自家発電して無線(衛星通信)でデータを飛ばすことができるので、これをいろんな場所に置いておけば、クラウドサーバー上に水に関するデータをどんどん集めることができます。センサーなど、何らかの装置を搭載することによって、水位や流速、水質など、取りたいデータの見える化、つまりセンサーを使って情報を検知して数値化する「センシング」が可能です。
データの見える化によって、例えばどんなことが可能になりますか。
上田:例えばこれは愛媛県で行った実証実験ですが、鉄砲水で困っている場所がありました。下流では急に水が増えたように見えるけれども、実際は雨が降って1日経ったものが流れてくるので、翌日急に水量が増えます。それが中腹であれば18時間後、山頂に近づくと数値はゼロに近づいていくことがわかりました。つまり上流を見ることは未来を見ることでもありリスク予測に大変役立ちます。
さらにその集積したデータを、天候情報や水門制御情報などと共にAIで解析し、地域固有の学習モデルを構築することで、河川の氾濫や土砂崩れなど前兆からの災害予測、治水(ダムや水門の最適制御)、灌漑のナビゲーション(農業分野での灌漑システムを効率的に管理運用する技術)の提供も可能です。
他にはどういう応用が可能ですか。
上田:例えば、今年1月に埼玉の道路陥没事故がありましたが、地中などでもデータを取り続けていれば、インフラの老朽化についても見える化、前兆を予測できると思います。センシングできてないことによって起きるトラブルは、このように見える化をすることで、危機管理の手段になります。
現在はさまざまな場所でデータを取っていくことに注力していますが、将来的には電力を作ってロボットを動かすために使う、例えば農業用のローバー(無人で農作業を支援するロボット)やポンプ動作、ドローンの充電ポートへの活用などにも展開できるのではないか、と思っています。労働人口現象の中で省人力化が求められています。なるべくコストをかけずにうまく物事を動かしていくための電源、というところを狙っています。
ところで、どのような方々をユーザーとして想定していますか。また、ビジネス展開で苦労されている点はありますか。
上田:想定しているのは、水害対策や利水に関わる自治体や土地改良区といった公的機関です。しかし、私たちが公的機関と直接取引するケースは今のところは少なく、多くは通信事業者や、防災データを活用する建設コンサルなどの会社、漁業関係者といったユーザーが、私たちの技術やデータを必要としています。
特に自治体との連携では、現状は「入札」という壁があるため、今は技術開発に専念し、通信事業者など、展開力のある企業と組むことを重視しています。
今後の目標やビジョンについて、3年後、5年後を見据えた計画をお聞かせください。
上田:今、私たちは「データの収集・活用」と「電力供給」という2つの柱を育てています。最初の3年間で、主に治水DXの方を進めます。川や農業用水路などに、通信手段を提供する目的で、mW(ミリワット)からW(ワット)レベルの小さな装置をたくさん置いていきます。目標は、ハイドロヴィーナスを最も見慣れた装置にすることです。
その先には、海の中に装置を置いて、潮流発電を目指します。機体の大きさによって発電量も変えることができる装置なので、海に置くと巨大な発電をすることも可能です。
瀬戸内海だけでも原発20機分のエネルギーが流れていると言われています。天候に左右されず、潮の満ち引きで発電量が完璧に予測できる潮流発電は、非常に安定したクリーンエネルギーです。最終的には、この大きな海の市場を目指します。
海外展開についてもお考えでしょうか?
上田:海外展開は、実は最初から狙っています。潮流発電という観点では、世界的に有名な実証地であるスコットランドなど、ヨーロッパからのデビューも視野に入れています。
また、最近力を入れている治水DXの観点では、アジア諸国には氾濫の課題が、ヨーロッパ、アメリカ、中国には干ばつの課題があり、水が多くても少なくてもセンシングは非常に重要です。JICA(国際協力機構)も興味を示しており、海外展開のチャンスを窺っているところです。
最後に、ICTスタートアップリーグにはどのようなことを期待されていますか。
上田:弊社の事業は通信やモノとインターネットをつなぐIoTがベースであり、総務省のICTスタートアップリーグは非常に魅力的でした。社会課題解決、特に防災は行政が関わり、許認可などの大きな壁があります。
このリーグへの期待は、ICTという切り口から、今まで単独では難しかった行政や他分野との接点ができることです。良い技術があっても、社会課題の解決においては、縦割りの壁を乗り越えることが不可欠です。このリーグが発展し、人とのつながり方に変革が起きることを願っています。
編集後記
上田氏の事業の原動力は、単にビジネスの機会というよりも、「社会課題の解決」という確固たる哲学にあることを感じた。半導体エンジニア、研究者としての科学的知見と、震災を機にエネルギー・環境問題に真摯に向き合うことを決意した、その強い意志が結実したのが、世界唯一の渦で動く「泳ぐ発電機」だ。
この革新的な技術を社会に届ける道のりは、想像以上に険しい。インタビューの中では、電線や通信網がない土地で10年以上の耐久性を担保するための素材や設計の改良、そして水中では生態系に配慮するDNA解析といった地道なハードウェア開発の壁があるという話も聞いた。加えて許認可や入札といったハードルもある。
彼らは、この技術的・社会的な困難を、ICTスタートアップリーグのような公的な支援を足掛かりに乗り越えようとしている。まずは小型電源による水路DXの普及を目指し、最終的に瀬戸内海の巨大な潮流エネルギーを活用するという壮大なビジョンは、日本のエネルギー自給と防災の未来に希望を与える。ハイドロヴィーナスがこの挑戦を成功させたとき、私たちの社会はより強く、クリーンなエネルギー基盤を手に入れることになるはずだ。
■ICTスタートアップリーグ
総務省による「スタートアップ創出型萌芽的研究開発支援事業」を契機に2023年度からスタートした支援プログラムです。
ICTスタートアップリーグは4つの柱でスタートアップの支援を行います。
①研究開発費 / 伴走支援
最大2,000万円の研究開発費を補助金という形で提供されます。また、伴走支援ではリーグメンバーの選考に携わった選考評価委員は、選考後も寄り添い、成長を促進していく。選考評価委員が“絶対に採択したい”と評価した企業については、事業計画に対するアドバイスや成長機会の提供などを評価委員自身が継続的に支援する、まさに“推し活”的な支援体制が構築されています。
②発掘・育成
リーグメンバーの事業成長を促す学びや出会いの場を提供していきます。
また、これから起業を目指す人の発掘も展開し、裾野の拡大を目指します。
③競争&共創
スポーツリーグのようなポジティブな競争の場となっており、スタートアップはともに学び、切磋琢磨しあうなかで、本当に必要とする分の資金(最大2,000万円)を勝ち取っていく仕組みになっています。また選考評価委員によるセッションなど様々な機会を通じてリーグメンバー同士がコラボレーションして事業を拡大していく共創の場も提供しています。
④発信
リーグメンバーの取り組みをメディアと連携して発信します!事業を多くの人に知ってもらうことで、新たなマッチングとチャンスの場が広がることを目指します。
■関連するWEBサイト
株式会社ハイドロヴィーナス
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株式会社ハイドロヴィーナス(LEAGUE MEMBER)
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ICTスタートアップリーグ